日本の幻の高速鉄道計画



日本の幻の高速鉄道計画

高速鉄道に影響を与えた計画

日本では高速鉄道というと、1964年開通の新幹線であり、それまでは在来線を使い、遅いスピードで列車を運行していました。そのような中で、従来の鉄道の狭い軌間のレールではなく、広い軌間の世界標準の1435mmのレールを使い、新たに用地と路線を建設し、在来線では不可能な高速鉄道を造るという計画が持ち上がり、これがいわゆる弾丸列車計画と呼ばれます。すでに明治時代から高速鉄道計画はありましたが、1938年の昭和13年に、弾丸列車計画はスタートします。

東京から下関まで、1435mmのレールを敷き、最高速度は時速200kmの列車運転を行い、この2区間を9時間で結ぶという計画でした。路線は一部を電気で運行する列車を使い、蒸気機関車を併用します。路線は現在の東海道本線、そして山陰本線のほぼすべてを使いました。さらに将来的には、満州方面もつなぎ、アジアとも繋ぐ計画でした。

こうして計画が始まると、工事が開始されますが、最初に難航が予想されるトンネル掘削から始めました。ただ実際に計画と工事がスタートした後は、予算の問題、技術面の問題、そして戦争の影響があり、計画は頓挫し中止されます。特に第二次世界大戦が始まったことが大きいです。また最低でも時速150km、最高時速200kmを出す蒸気機関車が、当時の技術で作れたのか、ということも疑問視されました。ただ計画中止までには、いくつかのトンネルは開通し、路線用の用地は、すでに4分の1が購入済みでした。